2013年1月29日火曜日

井上馨邸の天覧歌舞伎


昨日お伝えした久邇宮家の屋敷は、鳥居坂の通りをへだてて両側にあり西側が洋館、東側が和風の屋敷で、もとは井上馨の邸宅でした。
元井上馨邸の国際文化会館

この屋敷の敷地は、江戸時代から幕末にかけては多度津藩(現香川県丸亀市)藩主京極壱岐守の江戸屋敷があり、明治になると井上馨邸~久邇宮家~赤星鉄馬邸~岩崎小彌太邸と変遷して戦後、国際文化会館となります。

この井上邸であった明治20年4月26日、邸内に茶室「八窓庵」を移築した折、明治天皇、皇后、皇太后、各国大使を迎えて九代目市川團十郎以下一流の役者による歌舞伎を初めて天覧に供しました。これは、当時井上馨が進めていた不平等条約改正を図る「鹿鳴館外交」といわれる外交政策の一環として行われ、諸外国への高度な日本芸術の紹介という目的がありました。

そのスケジュールは、
26日 天皇行幸 
27日 皇后行啓 
28日 各国公使・内外貴賓及びその婦人
29日 皇太后行啓
となっており、この期間の井上邸と周辺の様子を、
鳥居坂邸においては、緑門を設け国旗を交差し、玄関には緑飾し紫御紋付の幕を張り、本館より五六間距つた所に天覧所及び舞台を檜皮葺に新築し、陪観の桟敷を設け、新調の大形模様の緞子を引幕に張った。そして、劇場・本館各所及び庭中等に電灯を点じ、庭中各所に篝火を設けた。
又本館各室には公の秘蔵している和漢の書画を掛け、種々の盆栽を置き、装置万端遺漏なく整った。門外左右の塀には球灯を懸け、向屋敷の杉邸には門・塀及び庭等に数百の球灯掲げ、同邸内を参会の休所とし、隣の三條公の邸内を供奉溜並びに大臣以下来賓の馬車置場に充てた。
と伝えています。そして各日の内容は、

天覧歌舞伎錦絵

◎26日天皇の行幸
午後一時赤坂仮御所を出門。供奉は有栖川宮熾仁親王・伏見宮親王・北白川親王・有栖川宮威仁親王・三條内大臣・伊藤・松方・大山・森・山田・榎本等の各大臣など。

●演目
 □第一、勧進帳

武蔵坊弁慶     市川團十郎
富樫左衛門     市川左團次
九郎判官義経  中村福助
□第二、北條高時
  高時        市川團十郎
大佛陸奥守      尾上菊五郎
秋田城入道      市川左團次
長崎次郎         尾上松助
侍女衣笠         中村福助
        他に天狗・侍女各々若干名

□第三、操三番曳
三番曳     尾上菊五郎
翁       中村芝翫
千歳     板東家橘
後見     中村鶴藏

□漁父の戯
  漁父     市川團十郎
外に鯛・鰒・蛸・蟹

□元禄踊
                踊手多人数
観劇終了後、侍従に、
「これは近頃珍しきものを観た」「演劇は能に比すれば判りもよく、高時の場は取分け面白く覚えた。」
と感想を漏らし、さらに同邸での晩宴後さらなる歌舞伎の観劇を所望され、山姥、曾我の討入を観劇し大変満足のご様子で午後10時10分、同邸を退出しました。


さらに退出時天皇から、井上家に御紋附銅花瓶・金千円・紅白縮緬・家来衆には酒肴料五十円などの下賜品がありました。










鳥居坂井上邸
◎27日 皇后の行啓
午後二時出門。供奉は有栖川宮熾仁親王・伏見宮親王・有栖川宮威仁親王の御息所、三條・毛利・山県・伊藤・鍋島・松方・大山・寺島・吉井・戸田・
青木・陸奥・佐々木・吉川・杉・三島・林等の夫人など。


●演目
 □第一、伊勢物語
 
伊勢三郎義盛   市川團十郎
左馬九郎義経   中村福助
三郎老僕左六太 市川門蔵
三郎妻濱萩     澤村源之助
    外に野武士若干人・小女一人
□第二、寺子屋
武部源蔵         尾上菊五郎
松王丸           市川左團次
春藤玄蕃         中村芝翫
菅 秀才          尾上菊
松王丸悴小太郎 市川牡丹
涎くり奥太郎      中村鶴藏
御台園生前      市川升若
源蔵妻戸浪      板東秀調
松王丸妻千代    市川團十郎
    外に手習子・捕手・百姓各若干人。下男一人、陸尺二人


□第三、土蜘
土蜘の精    尾上菊五郎
平井保昌    市川左團次
源 頼光    板東家橘
侍女小蝶    中村福助
    外に四天王軍卒扈従胡蝶舞女各々若干人

□第四、花見の賑
  踊手多人数


伊勢三郎・寺子屋・土蜘・花見の振などを観劇。観劇終了後、井上の問いに対して皇后陛下は、
「誠に面白く覚えた。わけて寺小屋は思わず涙を催した。昔も今も尊きも賤しきも人の情には異なる所がない。能く写し得たものである。」との感想を漏らしました。
そして晩餐後花見の振・義経千本櫻・道中元禄踊を再び観劇して10時30分後同邸を退出しました。

さらに退出時皇后から井上家に、紫檀棚・洋服地などの下賜品がありました。







◎28日 各国公使・内外貴賓及びその婦人
 
伊勢三郎・寺子屋・花見の振・北條高時・元禄踊等を観覧
◎29日 皇太后の行啓
 午後二時青山御所出門。供奉は華頂宮御息所、久邇宮栄子女王、毛利。伊藤・杉等の夫人、近衛、中山、元田・杉、児玉等の顕官など。

●演目
 □第一、忠臣蔵三段目

高師直         市川團十郎
塩谷判官       尾上菊五郎
桃井若狭之助  市川左團次
早野勘平       板東家橘
鷺坂伴内       中村鶴藏
加古川本蔵     大谷門蔵
塩谷腰元おかる 澤村源之助
   外に大名大勢、茶道一人、師直家来

□第二、忠臣蔵四段目
大星由良之助    市川團十郎
塩谷判官         尾上菊五郎
斧九太夫        市川左團次
石堂右馬之丞    市川小團次
大星力彌        中村福助
山名次郎左衛門 市川團右衛門
原郷右衛門      市川壽美蔵
顔世御前        板東秀調
   外に塩谷家来大勢、同腰元

□第三、義経記 吉野山雪中の場
佐藤四郎忠信  市川左團次
横川覚範     中村芝翫
源九郎義経   中村福助
武蔵坊弁慶   尾上松助
亀井六郎     板東家橘
片岡八郎     市川小團次
伊勢三郎     大谷門蔵
駿河次郎     市川團八   
静            澤村源之助
   外に法師武者六人、忠信家来二人


□第四、六歌仙
文屋康秀    市川團十郎
喜撰法師    尾上菊五郎
僧正遍照    中村芝翫
小野小町    板東家橘
在原業平    市川小團次
茶汲女おかち  中村福助
   外に迎坊主六人、腰元六人


勧進帳・靭猿・忠臣蔵三段目、四段目を観劇。晩餐後に再び義経記吉野山雪中の場・六歌仙を観劇後午後十一時退出。
さらに退出時皇太后が井上家に、蒔絵小箪笥・銀湯沸・テーブル掛け・白縮緬と家扶以下には金五十円の酒肴料などの下賜品がありました。
またこれらとは別に宮内省より俳優一同に五百円の下賜があり、これにより非常な喜びであったとしています。そして天覧歌舞伎以降の歌舞伎界は芸術としての価値を持ち、この芸術への理解は一種のステータスとなっていきます。

そしてこの天覧歌舞伎を朝日新聞は、市川團十郎が勧進帳を演じるにあたり、衣装付属品を新調して臨んだこと、名人といわれる役者たちも緊張のあまり手が震えていたことなどを後日談として記事にしています。

それまで河原者と誹られてきた歌舞伎を日本古来の芸術と認めたのは、この天覧歌舞伎であったことは間違い有りません。

2007(平成19)年4月25日、この井上邸天覧歌舞伎から百二十年を記念して現在同所にある国際文化会館で天覧歌舞伎が開催され、天皇、皇后・皇族・外国大使などが招かれました。そしてその時の演目は120年前と同じ「勧進帳」であったそうです。











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