2014年8月21日木曜日

村岡花子の通勤路


今回は今週から放送されている「花子とアン」において愛宕山のJOAK(NHK東京放送局)で村岡花子が「コドモの新聞」アナウンサーになってゆく姿が描かれていますが、芝区愛宕山までどのような交通手段で通勤していたのだろうという素朴な疑問がわきました。

少し調べてみると、村岡花子の自宅は大田区春日橋(環七・池上通り交差点)付近(現大田区中央三丁目)でしたので、愛宕山のNHK東京放送局へ行くには、下記の方法が考えられます。



 

村岡夫妻の住居跡で後の赤毛のアン記念館(閉館)

 

 

 

 

 

赤毛のアン記念館
2014年閉館し資料は東洋英和女学院に譲渡されました。

 


 

★JOAK(NHK東京放送局)がある芝区愛宕山への出勤

  1. 大森駅→(JR)→浜松町駅→(徒歩)→愛宕山NHK東京放送局
  2. 大森駅→(JR)→品川駅→(市電系3統)→神谷町or西久保巴町→(徒歩)→愛宕山NHK東京放送局
  3. 学校裏駅(現平和島駅)→(京浜線:現京浜急行)→北品川駅→(市電系3統)→神谷町or西久保巴町→(徒歩)→愛宕山NHK東京放送局
  4. 大森駅→(JR)→田町→(徒歩)→三田→(市電系37統)御成門or愛宕町→(徒歩)→愛宕山NHK東京放送局

この中で可能性が高い通勤路は2or3or4となり、やや徒歩距離が長い①は除外しても良いと思われます。
しかし放送は毎週日曜日でしかもアナウンサーは村岡花子と東京中央放送局児童課の職員であった関屋五十二が各週で交代したため花子の通勤は打ち合わせなどを入れてもさほど多い出勤ではなかったと思われます。
私自身が若い頃この春日橋付近に住んだ経験があり、そのとき私自身も通勤には京浜急行平和島駅ではなく、少し距離は遠くなりますがJR大森駅を使用していましたので、花子も同様に②の経路を使用していたのではないかと私見ながら想像しています。
また花子が働いていた出版社「聡文堂」はドラマ上の名称で「日本基督教興文協会」が本当の名称です。そして震災後「教文館」と合併し現在に至ります。ドラマ上では花子と?三が結婚したのは1919(大正8)年ですが、結婚後も花子が教文館での勤務を続けたのならば、やはり大田区春日橋から銀座への出勤となり、下記の通勤路で通勤したものと思われますが、
最短距離で、運賃も安い1がもっともあり得る通勤方法だったと思われます。

  

 

大正14年市電路線図
 

 

 

 

現在のHNK放送博物館

 

 

 

 

J.O.A.K開局当時の模型

 

 

 

 

コドモの時間

 

 

 

 

 

 

 

 

●教文館オフィシャルサイト
     http://www.kyobunkwan.co.jp/



★日本基督教興文協会(後の教文館)がある銀座への出勤(毎日?)

  1. 大森駅→(JR)→有楽町駅→(徒歩)→日本基督教興文協会(後の教文館) 
  2. 大森駅→(JR)→品川駅→(市電系1統)→銀座四or銀座二→(徒歩)→日本基督教興文協会(後の教文館)



以上、村岡花子の通勤をシミュレーションしてみましたが、この権に関しては私DEEP AZABUの想像と勝手な解釈であることをお断りしておきます。




現在の銀座教文館







教文館館内










村岡花子宅周辺